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祝・つくばみらい市の誕生!

間宮林蔵先生の像(旧・伊奈町 岡堰)
間宮林蔵先生の像(旧・伊奈町 岡堰)

樺太探検の間宮林蔵先生利根川治水事業の伊奈忠治先生水戸の備前掘事業などで活躍した伊奈忠次先生に関連する伊奈町谷和原村が合併し、つくばみらい市が誕生いたしました~~~~\(^O^)/~~~オメデトー。

つくばみらい市の名称に疑問を持った時期もありましたが、住めば都。できちゃった婚、もとい授かり婚で、名前に負けないような街になっていくことを祈るばかりです(^-^)。


早速、公式サイトの方も旧・町村からつくばみらい市のサイトに移行しており、合併のもろもろの作業が順調に進展していることが分かります。

サイト内をふらふら彷徨っていたら、つくばみらい市立図書館のサイトにたどり着きました。
なな、なんと!、サイト内には、つくばエクスプレスのマスコットキャラクター「スピーフィ君」のかわいい写真がたくさん掲載されているではありませんか!!!!!(@o@)ハアハア。
かわいいものには目が無いKOUJINN(旅人)は、しばらくスピーフィ君のコスプレ(?)に釘付け状態。。



スピーフィ君カワユス。ギザカワユス(´≧ω≦`)ギュ~。と言うわけで、KOUJINN(旅人)コレクションのスピーフィ君画像を一挙公開なのです!!!!!。

つくば市谷田部のスピーフィ君
常陽銀行(東京営業部)のスピーフィ君
つくばエクスプレス開業を喜ぶスピーフィ君
ストラップなスピーフィ君

これしかありませんでした・・・(´・ω・`)ショボーン。
まだまだKOUJINN(旅人)は、鍛錬が足りませんでした。もっともっと精進したいと思います・・・。




「スピーフィ」の掲載ページが削除されていたことを確認済み。 210309

〔リンク切れ 210309 注釈〕
http://trip.de-blog.jp/tabi/2005/10/post_0be1.html
http://trip.de-blog.jp/tabi/2005/10/__74e5.html
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| 市町村合併 | 23:55 | comments:2 | trackbacks:2 | TOP↑

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KOUJINN(旅人)が『土浦』を好きな理由(わけ)

KOUJINN(旅人)が、なぜにこんなにもいばらき だいすきなのか。。いくつかある理由のうちのひとつが、下の写真です。。

楽しかりし頃の水郷汽船(1980年代)
この写真は、今からおよそ20数年前のものです。場所は今で言う、霞ヶ浦 土浦入り京成マリーナ裏の広場です。。
当時は“京成マリーナ”といったおしゃれな名前でなく、水郷汽船と呼ばれる場所でした。。

土浦で生まれたKOUJINN(旅人)は、幼くして茨城県外に引越してしまいました。いとこのいる千代田村(<千代田町<かすみがうら市)に遊びに来るようになったのは、小学校2年生の頃。
夏休み暮れ正月の長期の休みになると、いとこの家に遊びに来て、その流れで、水郷汽船(当時)に連れられてくることが良くありました。

水郷汽船にはレストランがあり、そこで食べるから揚げのおいしかったこと!。ジューシーでぷりっとして、ガーリックが効いていて、レモンの酸味があって、後にも先にも、あれほどおいしかったから揚げは、食べたことがありません(´-ω-`)トオイメ…。


しかし時は流れ、KOUJINN(旅人)は小学校を卒業し、中学校に上がったくらいから忙しくなり、土浦に来る機会は無くなってしまいました・・・。


再びKOUJINN(旅人)土浦に帰ってくるようになったのは、あれから10数年近く経ってからです。。2000年夏、偶然にたどり着いた霞ヶ浦 土浦入りは、KOUJINN(旅人)の知っている場所では無くなっていました。。

霞ヶ浦土浦入り 京成マリーナ 旧・ミニカート広場
霞ヶ浦土浦入り 京成マリーナ 旧・ゴーカート乗り場
霞ヶ浦土浦入り 京成マリーナ レストラン・ランデブー

あの楽しかった霞ヶ浦 土浦入り。。水郷汽船。。

【1】ミニカート乗り場は冷たく荒れ果てていました。(一番最初の写真とほぼ同じアングルです!)
【2】ゴーカート乗り場だった場所は、本来の駐車場に戻されていました。。しかし地面には、ゴーカートの進行方向を示す、矢印が今も残っています。。この矢印だけが、今と昔を結び付けてくれました。。
【3】おいしかったから揚げを食べたくて、レストランに入ります。。しかし、出てきたから揚げは、あの時のジューシーさがまったく無く、思い出を頭の中から引っ張り出すことはできませんでした。。


しかし、いつまでも懐かしさだけに囚われて、前に進むことを怖がってはなりません!。懐かしさも大事だけれど、前へ!前へ!進むことも大事なのです。失敗することもあるでしょう。汚点を残すこともあるでしょう。だけども、常に良くなることを願って、前へ進むしか方法は無いのです!!

そんなKOUJINN(旅人)の大好きな土浦は本日(2006年2月20日)、隣接する新治村と合併し、『新・土浦市』となって歩き始めます(^^)。


■公式サイト
 ●土浦市

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神栖市の成り立ち

茨城県の最南西に位置する、神栖市
去年(平成17年)、神栖町波崎町が合併し、神栖市となりました。
今週のblogは神栖市を中心とした話題が多く、話の流れから神栖市について調査しなければならないこともあり、市の合併の歴史を調べました。
神栖市誕生までの流れ
分かりやすくするために、表にしてみました。
神栖市になるまで、5つのアクションがあったことが分かります。


【1】市町村制の施行(明治22年)
明治政府が明治21年に施行した法。これまでの「郡区町村編成法」「区町村会法」で定められた地方制度を整備しました。この時に「中島村」「軽野村」が誕生しています。

【2】中島村が名称変更(大正14年)
大正14年に中島村が「息栖村」(いきすむら)と名称を変更。

【3】神栖町誕生(昭和30年)
息栖村「栖」の文字と、軽野村の象徴である神之池(ごうのいけ)「神」の文字を掛け合わせ、「神栖町」になりました。昭和30年の合併、いわゆる「昭和の大合併」の時のことです。

【4】若松村の一部が編入(昭和31年)
神栖町若松村の一部(太田新田字横瀬・長峰)が編入。

【5】神栖市の誕生(平成17年)
茨城県最南西の波崎町と合併。神栖町神栖市となりました。
この時、鹿嶋市との3市町広域合併の話もありましたが、3市町での合併にはいたりませんでした。


噂では、神栖町自身が工業地域の税収で安定しているため、「この段階での合併は必要ない」と判断したとの話もあります。神栖地域は工業地帯で、中でも住友系とのつながりが非常に強いとのこと。
今回の「平成の大合併」は、弱小市町村を再び合併させ、自立ある市町村づくりを促すためのもの。もともと税収の安定している神栖地域にとっては、「おせっかいな話」だったのかもしれません。。


■今週の神栖市に関するblog
 ●シャリシャリの神之池(ごうのいけ)
 ●茨城県内で成人式
 ●茨城百景 鹿島砂丘と神の池
 ●港公園 展望塔

■『いばらき だいすき』で波崎町時代に輪行訪問しています
 ●波崎町 輪行の旅(20040410)

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