2013.09.02 Mon
常陽新聞新社 自己破産/常陽新聞 廃刊

常陽新聞新社(茨城県土浦市)が自己破産をしました。
私が愛する『常陽新聞』も、2013年8月31日(土)の朝刊の発行を持って廃刊となります。
(常陽新聞は夕刊は発行していない)
そのニュースは、Yahooサイトにて知りました。
8月31日の正午は用事があり、用事が終了次第、上野駅から土浦駅に向かいました。
土浦駅からは迷い無くタクシーを利用。
通称「木の橋」の所で降ろしてもらうと、常陽新聞新社の社屋はひっそりとしていました。

社屋の入口には、弁護士による「破産申立書」が貼られていました。
記
株式会社常陽新聞新社
本日、上記の者につき、当職らが申立代理人として破産申立を
行いました。今後は裁判所より破産管財人が選任され、以後破産
管財人により当敷地及び建物並びに全ての動産物は占有管理され
ます。
よって、みだりに立ち入りあるいは搬出等する者は、窃盗罪等
により告訴いたします。
なお、不審人物等を目撃された方は、お手数ですが当事務所ま
でご一報下さい。
平成25年 8月30日
(住所 略)
(事務所名 略)
(電話番号 略)
弁護士 (弁護士名 略)
※上記は、原本より引用。表記送りがな、改行すべて原本のまま。


ガラス越しに事務所内を覗いてみると、人の気配がありません。
後から確認したことですが、午前中は社員の方が出社していたようで、
事後整理などを行ない、正午には退社したそうです。
かつて、KOUJINN(旅人)は一度だけ、常陽新聞新社の建物に入ったことがあります。
常陽新聞新社がまだ、常陽新聞社だった時に発行された書籍を購入するためでした。
→常陽新聞創業者 岩波健一に教わったこと

今回、常陽新聞新社は1億2千万円もの負債を抱えての倒産となります。
もしKOUJINN(旅人)がお金持ちで、3億くらいキャッシュがあったら買収したい位でした。
それは、(旧)常陽新聞社を創業した、故・岩波健一の志を絶えさせたくなかったためです。
→岩波健一の原稿
→科学万博つくば85メモリアル展
KOUJINN(旅人)は あの頃(科学万博があった頃)、まだ小学生でしたが、今こうして生きている骨組みの一つに、岩波健一の存在があるような気がします。
-KOUJINN(旅人)が『土浦』を好きな理由(わけ)
※霞ヶ浦 土浦入りにあった「京成マリーナ」は、かつて岩波健一が経営する常陽商事が運営していました
-豆日刊茨城 科学万博(カテゴリ-)
岩波健一が在命であれば、また違った土浦市があったような気もします。
-02 土浦京成百貨店 …岩波健一が経営に関わっていました
-03 西友 土浦店
-04 イトーヨーカドー 旧土浦店
※先日閉店した、ウララの方のイトーヨーカドーではなく、旧店舗の方です。
8月も今日で終ろうとしているのに、夏のこの暑さはかないません。。
日差しが強く、じりじりと体を焦がしていきます。
少しでも長く、岩波健一の死を看取るような気持ちで、ずっとこの場所「常陽新聞社」(あえて旧名で書かせてください)前にいたい気持ちでした。
しかし、汗は止めどなく流れていき、KOUJINN(旅人)の体をむしばんでいきます。
最後に一度、常陽新聞社に振り向き、目に焼付けます。
恐らく、次に来ることがあったとしても、この建物は更地になっているかも知れません。。
暑さでふらふらしながら、亀城公園(きじょうこうえん)まで歩き、バスに乗って土浦駅を目指します。
オレンジ小網屋の跡地を過ぎます。
大徳さんの所は建物を壊し、工事中でした。新しいお店ができるのでしょうか。
土浦京成百貨店の跡地。
紳士服オグラさんは、2004年に閉店してしまいましたね。
小網屋や西友跡地(西友解体中に敷地に入れてくれました)は更地になった後、マンションが完成しましたね。
モール505の今後も気になります。
丸井土浦店が閉店し、当時は閉店理由が「建物の老朽化」とも言われていましたが、複合ビルになりましたね。
最後の砦だったイトーヨーカドー土浦店も、つい先日、閉店してしまいましたね。。
※訪問することができず、申し訳ございませんでした。
土浦入りにあった京成マリーナはデベロッパーに土地を明け渡したものの、そのデベロッパーが倒産し、土地計画そのものが頓挫しましたが、その後、どうなったのでしょうか。
土浦にいろいろ思うこと多数。。
流れるのは、汗か、涙か。
寂しく去秋に浸ることもある。
それでも私は、いばらきだいすき。

常陽新聞(最終号)は土浦駅のキヨスクでは完売で、買うことができませんでした。
筑波に住むいとこに、購入をお願いしておきました。
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| まちづくり | 19:38 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑