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茨城百景「007 日立の大煙突」を加筆更新しました!

茨城百景 日立の大煙突

茨城百景_神峰ハイキングコースと大煙突_日立の大煙突_かみね公園_日立市




茨城百景 包括風景 日立鉱山

明治38年(1905)、久原房之助は日立村の赤沢銅山を買い取り、「日立鉱山」と名前を変更し、事業を始めました。中里発電所や大雄院精錬所(だいおういんせいれんじょ)、電錬工場を建て、大雄院と助川駅(現在のJR日立駅)間に日立鉱山電気鉄道を敷き、日立鉱山をつくりました。
国策として進められた銅や鉄鋼の精錬工場から出る煙は、樹木や農作物を枯らすなどの被害が出ました。


日立鉱山による補償

煙害を受けた周囲の地域に、日立鉱山は住民立会いのもと実地検査を行い、適切な補償を施してきました。しかし、日立鉱山の事業が拡大するにつれ、補償だけでは済まされない事態となっていきます。


煙害を克服できなかった神峰煙道、阿呆煙突

その中で日立鉱山は、煙による被害を拡散、分散させるため「神峰煙道」を、政府の命令で「阿呆煙突(ダルマ煙突、命令煙突とも呼ばれる)」を造りますが、被害は抑えられるどころか拡大していく一方でした。


「大煙突」の建設を決断

煙害により追い詰められた入四間村は、集団移住まで検討されました。

このとき久原房之介は、「大煙突」の建設を決断します。
噴煙を空高く噴き上げる火山のように高い煙突を建て、ガスを高層気流に乗せて拡散させようとする考えです。高層気象の観測や風洞実験などでその合理性が裏付けされ、ついに日立鉱山は企業の存亡をかけ、大煙突の建設を決断したのでした。


気象観測所と煙に強い樹木

大煙突の完成により、煙害は激減しました。
しかし、気象条件によっては被害が出ることもありました。そこで観測所を設け、銅の生産を調整し、被害を抑えるよう努力しました。


倒壊してしまった日立の大煙突

日立市民にとって、日立の大煙突は市のシンボルです。誇りです。
平成05年(1993)02月19日、日立の大煙突は高さ1/3を残し倒壊してしまいます。それを見ていたある市民は、「(煙突は)威厳を持ち、ゆっくりと倒れていた」と証言しています。煙突は、山側に倒れていきました。残った煙突は修復され、54mの高さになってしまいました。しかし、大煙突の精神は今も受け継がれています。


日立製作所 と小平浪平

久原房之助によって設立された日立鉱山が成長を遂げる中、技術の従業員であった小平浪平が立ち上げた日立製作所によって、日立は鉱山の町から技術の町、世界の日立へと成長しました。


映画 「ある町の高い煙突」 ~ 煙害問題に向き合った 関右馬允

日立鉱山の煙害問題。入四間村(いりしけん・むら)の若者関右馬允(せきうまのじょう)が日立鉱山と話し合いをし、解決に向かって行くストーリーは新田次郎により小説「ある町の高い煙突」として発表されました。2019年には映画が公開されました。




いばらきだいすき セカンドシーズン
茨城百景 日立の大煙突




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